新型コロナウィルス騒動について思うコト

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ハッキリ言って今回のコロナ禍、日を追ってデータ(または知見)が蓄積されるとともに、ウイルス自体の実力は全く大したことないモノにしか見えない。

例えば人口当たりの死者数の比較では、東アジア諸国(日本含む)は欧米と比して国にもよるが2ケタ低い方に違うということがある。また日本の死者数は9月19日時点では1,499人で、これは色んな意見があろうことは承知の上個人的な意見として言わせてもらうのなら決して多くはない。

純粋な季節性インフルエンザのみの最近の日本の年間死者数が約3,000人(関連した疾患死も含めると約10,000人)であることからもそう捉えることができる。

ところが2020年2月から記事作成時点9月の約半年強、日本はこの状況にも関わらずメディアはこのウィルスに対して過大ともいえる評価をし、報じた。

その結果今現在「新しい生活様式」とか「with corona」とかいう違和感しかない言葉が生まれ、なんかそれが当たり前になるような感じがしている。いやむしろこの言葉達自体が意図的に生まれたのかもしれない。

本当に意図的なのか?そして今現在のコロナ禍をコロナ禍たらしめたその実とは何なのか?と問われたとしても、残念ながらその答えは分からない。

何故なら陰謀論的な話題にはこと欠かない状況ではあるが、それを陰謀論ではないと断じれる知見は自分は持ち合わせてはいないから。真実を誰か教えて。

まぁそんな世界でも3,000人位しか知らなさそうなこと(適当)を欲しても叶うはずもないので、事実ベースで見えているコトについて考察してみようと思う。まず日本でみてみると以下の2つの事実がある。

事実①死者数等のデータ(弱毒性であること)
事実②今目の前で起こっていること(誰しもマスクしてる現状等)

という2つの要素を考えると、なんかバランスが悪いなと感じざるを得ない。平たく言えば事実①に対してなんで事実②なの過剰すぎでしょ!ということ。

そういうと、「未知の感染症なんだから仕方ないだろ!」とか「人の命をなんだと思ってるんだ!」とか反論が返ってきそうだが、それに逆に反論してみると以下の通りになる。

未知の感染症なんだから仕方ないだろ!への反論
「新型」コロナウィルスという名の通り、この病原体は2月ぐらいの騒がれ始めたころは真に「未知」のものだったかもしれない。が、本記事作成時点での2020年9月であれば、海外含め様々な知見が集結している。

完全に分かっていない事象をもって未知とすれば、新型コロナウィルスは未だに未知なのかもしれないけど、少なくとも死者数が少ないというデータは出てる。

「新型=未知」というワードにはとてつもなく力がある。元来ヒトは超保守的な生き物だが、未知のものに対しては特にそうであると言え、ましてや今回は生命維持に直接関連がある(と思われる)事象が目の前で繰り広げられているのだから、この強ワードの力でガッツリもっていかれている側面はあると思う。

が、ワードの引力に引っ張っぱられているのと同時に隣にズンと横たわっているものがあり、それは新型コロナウィルスは少なくとも日本では季節性インフルエンザよりも弱毒性だという事実。

人の命をなんだと思ってるんだ!への反論

本当はなんとなく分かるんだ、分かるけどそれは過剰なゼロリスク信仰だと思っている。

社会は今回の病原体でありなんであり、一定のリスクを許容して回っている。また繰り返すけど新型コロナウィルスと比して「毎年」犠牲者が同等か2、3倍の季節性インフルエンザに対してここまで「病原体に対する過熱報道」とか「マスク警察」が発生したことはないのではないでしょうかね。

それは季節性インフルエンザは社会が許容しているからではないかな。「人の命をなんだと思ってるんだ!」って言っている人は毎年毎年インフルに対していつも同じこといってるのかな、今回は何かにそう言わされてるだけでは?

さらには年間の死者数がそのインフル同等以上の子宮頸がん、年間約20,000人の自殺者すらも社会として許容している。

子宮頸がんに関しては安全性が相当高いワクチンがあるのにも関わらず、アナウンスに失敗した経緯があり(メディアの責任という認識)、未だに積極接種させない問題があるが、これも事実上許容してしまっていることになる。

(20210523追記)子宮頸がんワクチン接種のメリットとデメリットを判断した場合、記事作成当時は弊害はゼロではないものの、メリットの方がはるかに上回っているという判断でしたが、中長期的なメリットの判断が難しいという観点から、手放しに許容していいものかどうか判断が難しいという考えに至っています。

 

ゼロリスク、本当にみんな好き。自身が周囲からゼロリスクまたはそれに近いモノを意識してない人だと思われたくない人が多いと思ってるんじゃないか。ただ現実の問題として自分の親も高齢だし基礎疾患もあるし、絶対に罹患させてはいけない等と考える人たちは人として圧倒的に正しいと思う。これは視座の相違からくるジレンマ。

このことが本記事の意図するところとは本質的に異質なものであるということを付け加えておく。残念なことにそれらが異質なものであるにも関わらず混同して解釈される場合が多く、その部分が社会の病理として表現されることがまた多いのではないかと思っている。

あと本質的に大部分が新型コロナウィルスには圧倒的なくらい無関心。というのも2020年クソ暑い夏、ほとんどの人がマスク外さないことから読み取れる。

え、関心あるからマスクしているんでしょーが!と、思います?残念ながら実はそうではなく。

リーマンショックの時とか大多数の人の実生活にほぼ影響がないような事象ならいざ知らず、個人レベルの生活にもガシガシと負の影響をもたらしているコロナ禍、生活が困窮している人いる人も少なくないだろうと推測できる。

そのようなまさに未曽有の状況下にも関わらず、自身で能動的に新型コロナウィルス関連事象にについて情報を得ようとしないのはどうしてだろうと思う。

例えばクソ暑い夏にマスクをすることは、ある意味この社会の病理を浮き彫りにさせたと感じている。それくらい象徴的な出来事だった。そんな中「ひょっとしたらなんかおかしいんじゃないか?」と直感的に感じマスクや熱中症に対してgoogle検索等で能動的に検索した人は一体どれだけの割合でいたでしょうね。

ただマスクに関しては未だに有効性についての議論が交錯しており、正直そんなことすら「科学的な答え」が出てないことに驚愕しているが、少なくともこのことからも「絶対的に本当のところ」なんて事象によっては分からない思っている。

が、上記のことイコール情報収集することが生産性向上に寄与しないことを担保することでは一切なく、むしろ情報過多時代ではあるが情報を精査し自分の頭で考えることが大事なのではないか、と思う。

しかし残念ながら自分の周りでは受動的に情報を得れてしまうオールドメディア(主にテレビ)の印象に左右されている人がほとんど。結果としてちょっと調べたらわかるレベルのことですらほとんどの人が知らない。それは自分がここ半年ずっと味わってきて、ウンザリし続けていることでもある。

ではどの様にテレビに左右されているのかというと(主観を多分に含む)、フェーズが存在していて、まずは2月~5月の緊急事態宣言が解除される前まではまさに「新型コロナコワイ」であった。その後「新型コロナコワイ」と「コロナに罹患したら社会的にヤバイ」&「みんなと同じことしていないことがコワイ」が共存し、後者の比率が時間とともに増えていってるという感じではないか、と感じる。

自分は新型コロナウィルスは死者等のデータがでてくるにつれ、少なくとも日本ではどう贔屓目に見ても「インフルエンザぐらいのレベルでは社会が許容すべき」だと感じている。

そうであるが故に先日会社の人に仕事関連以外でマスクを着けていないと言ったら、「マスクくらい着けようよ」と言われた。が、その人はマスクを着ける正当性の一切を説明できていない(自分は先ほどのようにマスク云々の前に、新型コロを許容すべきとの考えなので、マスクの正当性とかはあまり興味がないが)。

なんせそこまで言う割りになんにも知らんし、ハッキリ言ってその呆けぶりにウンザリしてしまった。

いずれにしても折しものネット時代、情報の選別は必要も情報収集がはるかに容易になっているにも関わらず、それをしないのは無関心という表現以外思いつかない。

繰り返すが今回は個人レベルの生活にもガシガシと負の影響をもたらしているワケである。常々多少誇張しすぎの感はあるという認識も100年に一度の経済危機と言われるリーマンショック、今はそれ以上の事象が発生中なのに、なんなんだろうこの圧倒的無関心さは。

あと新型コロナウィルスは空気感染はしない感染症なのに、飛沫がバンバン飛び交う可能性が高いカラオケ屋とか飲み屋ではない、例えばショッピングセンターとかスーパーとかでマスクすることの意味が正直良く分からない。あとマスク着けて散歩してる夫婦とかなんなんかな、ドッカンドッカン飛沫飛び交うほど盛り上がんのか。大変ウラヤマシイ、ウチもそこまで盛り上がってみたいわ。

(20211219追記)ヒトヒト感染は発生当初は飛沫感染がメインルートということだったが、新コロは空気感染するのではという情報もある。自分は正直科学者でもなんでもない(科学者ですらバイアスとかかって事実から目を背けたり、事実なんて分かっていない人も多いと思うが。)ので誠にアレなんだけども少なくとも、飛沫感染がメインという考えは偏っているのかもしれない。

ハッキリ言って爪の隙間から感染するワケではないので、自身の目鼻口を触らなけらば接触感染自体はしないし、散歩しててもバカみたいに大声でしゃべらなければいいだけではないのかな。

あ、別にマスクをする人を非難しているのでもなんでもなく、自己責任において着ければいいと思う。ずっとつけてることでの健康上のリスクは良く分からない(あるのかどうかを含めて)が、少なくともコミュニケーションにおいては定量化出来ないのでアレだが、相当レベル阻害されていると感じる。

んでコミュニケーションが阻害されるということは生産性が一定数下がることと意味していて。

いずれにせよメディア(主にオールドメディア)の情報が「選択されて」発信されるという事実、んで場合によっては受け手に「ミスリードさせる」という情報伝達手法が用いられるという事実、また少なくない人がその情報を普通に信じてしまってる、若しくは情報として受け入れてしまってるということはコロナ禍2020を見ててよく分かった。みんな良くも悪くも非常に素直。

マジで季節性インフルより影響少ないんだから新型コロナウィルス、社会として許容するべきでしょうよ。メディアは真摯に反省してもらいたい。ま、そんな理想論を唱えても社会構造がそうはさせないようになっているような気はするので、メディアだけに責任を追及するのはおかしいとは思うけど。ひょっとしたらメディアは主体性ゼロのスピーカーって可能性も残されているワケだし。

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